ひろしま

広島平和記念資料館に保管されている被曝死された方々の遺品を撮影した写真集。ワンピースだったり、ブラウスだったり、今も色鮮やかな遺品の数々。懐かしさでいっぱいになるような小花模様のワンピースをまとっていたのは、どんな方だったろう。あの日の広島も暑かっただろうか。家族とどんな会話をして家を出たのだろうか。

ひろしま

ひろしま

別冊の栞に掲載されていた「世紀の没落」という詩、忘れたくないので引用しておきます。

世紀の没落      ヴィスワヴァ・シンボルスカ  つかだみちこ訳

われわれの二十世紀は、前世紀より

よい時代であるべきであった

歳月人を待たずのたとえのように

年をとれば、歩みもおぼつかなくなり

息も短くなる


あまりに多くの

起こるべきでないことが起きてしまった

そして、きたるべきことは

やってはこなかった

とりわけ 春や 幸せに向かって

歩み続けるべきであった


恐怖は、山や谷から去っていくはずであった

虚偽より早く真実は

目的に向かって突き進むはずであった


不幸な災害のいくつかは

起こらないはずであった

たとえば戦争

飢餓などの


備えのない無防備というものが

尊ばれるべきであった


だれがこの成し遂げることのできない

課題の前で動きのとれなくなってしまった

世界を寿ぐことを望んだのか


愚鈍さは滑稽なことではない

賢明さということは 楽しいことではない


希望

これはもう、あの若い少女のものではない

残念なことに


神は 善良で たくましい人間を

信じるべきであった

しかし善良とか たくましいということは

これは依然としてまだ一人の人間に望むこと

ではない


どのように生きるべきか―――手紙でだれかが訊いてきた

この同じ問いを

だれに投げかけたらよいというのか


今まで書いてきたように

またいつもと同じことではあるが

どう生きるのかという素朴な質問以上に

緊急な問いかけというものはない           『橋の上の人たち』(1986年)所載